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ゴーシェ病患者さん・ご家族のお話

ゴーシェ病患者さんのお話⑨ Ⅰ型

仕事にやりがいを感じて働いていた26歳でゴーシェ病と診断。その後も仕事、結婚、出産、子育て。ときどきは息を抜きながら、元気なお母さんでいたいです。

「日本ゴーシェ病の会」会員

「お話してくれた方」
40歳代女性:26歳でゴーシェ病(Ⅰ型)と診断

診断の契機となった交通事故

記憶もない小さい頃、お腹が張っていて、いくつか内科に相談に行ったことはあったそうなのですが、冗談で「健康だけが取り柄」と言っていたくらい、これまで自分が病気を患っているなんて思ったこともありませんでした。学生時代はバスケットボール部に入り、走り回っていました。ウエストが少し太くて、ぽっちゃりしているかなと思ったこともありましたが、大して気にしていませんでした。その後大きな出来事もなく、無事に学校を卒業して、地元の金融機関に就職しました。忙しいながらもやりがいを感じて仕事をしていました。
それが26歳のある日をきっかけに一変しました。繁忙期だったのですが、「みんな疲れているから、今日は早く帰ろう」と上司から提案があり、会社を早く出ると、その帰途で一時停止を無視した車に追突されてしまいました。
病院に運ばれましたが、幸い命にかかわるような大事には至らずにすみました。勤務先の近くの整形外科でリハビリを受け、怪我も良くなっていきました。ただ、そのとき運ばれた病院で血液の再検査を勧められ、また同じ時期に近所のかかりつけの内科を受診したところ、血小板数の値が低すぎるので、大きな病院で精密検査を受けるよう勧められました。復帰した仕事やリハビリにかまけて、受診しない日々が続いていましたが、かかりつけの先生が職場まで何度も電話をしてきてくださり、熱心に説得してくださったおかげで、背を押されてようやく1-2カ月後に総合病院を受診することになりました。

ゴーシェ病と診断、自身の戸惑いと母の心配

受診した病院の血液内科の先生がゴーシェ病をご存じだったこともあり、そこからはあっという間に、ゴーシェ病の診断に至りました。検査入院もして、先生からは、脾臓や肝臓の状態や、血液検査の値、骨髄穿刺(こつずいせんし)の結果からゴーシェ病Ⅰ型であることが告げられました。私は、仕事が忙しかったため、まず「仕事休んで大丈夫かな」というのと、突然何十万人に1人という病気を宣告されて戸惑う一方で、性格的に「ちょっとよく分からないし、お任せじゃないけど、先生に診てもらってからかな」と少し楽観視する自分もいた気がします。ただ母は、「すごくとんでもない病気になってしまったのかしら。死んでしまうのかしら。娘はまだ26歳なのに、この先結婚できるかしら。」ととても心配し、私に隠れて泣いていたそうです。
ゴーシェ病と診断されてから振り返ってみると、職場の健康診断では貧血と判定されていましたが、よくあることとそのまま過ごしていました。仕事の忙しさで疲れていたのかもしれず曖昧なのですが、普段から身体がだるく、仕事から帰るとすぐに横になっていたり、脚の骨に痛みがあったり、打撲であざができやすく、人に腕を掴まれただけでアザになったこともあるなど、思いあたる症状はありました。

※ 骨髄穿刺(こつずいせんし):腰などの骨髄に針を刺して骨の中にある骨髄組織を採取する検査です。

仕事を続けながらの治療

検査入院後、会社に復帰すると、上司から「とても心配したけど、復帰できて良かった」と温かく迎えていただき、安堵しました。
私は運が良かったのだと思います。同年代の主治医の先生がとても熱心に病気について調べてくださったり、不安なことを聞いてくださいました。また検査入院中は治療法がみつからない、ということだったのですが、ちょうど私がゴーシェ病と診断された年にゴーシェ病の治療である酵素補充療法が日本で受けられるようになり、診断されて3ヵ月後くらいにはその治療を始めることができたのです。
点滴は2週間に1回ですが、当時は病院が土曜日も診療していたので月1回は土曜日に、もう1回は診察もかねて平日昼休みに会社を抜け出してタクシーで病院に行く治療生活が始まりました。酵素補充療法を始めて血小板数の値が改善し、疲れにくくなりアザもできにくくなりました。また、そのまま大きくなると取らないといけないと聞いていた脾臓も小さくなり、膨満感がなくなりました。ただ、月に1回ですが半日も会社を空けてしまうことが気になり、無理に点滴を早めて体調を崩すこともあり、転勤願いも考えたのですが、上司から「慣れたところのほうがいいし、バックアップするから気にしないでいいよ」と言っていただき、仕事を続けることができました。

結婚、そして妊娠、出産、子育て

自分の体調ときちんと向き合いたいという想いと、新しいことを始めたいという想いがあり、8年勤めた金融機関を退職し、派遣社員として自分のペースで仕事を続けることにしました。
主人と交際していた当時、通院もしなくてはいけないので話さない訳にはいかないですし、緊張しましたが、「自分はこういう病気があるのだけれど、子どもも、私はすごく好きだし欲しいのだけれど、もしかしたら子どもを持てないかもしれない」というようなことを話したと思います。主人はとてもポジティブな人で、「病気は誰でもかかるものだし、僕だってその病気じゃなくてもこれからかかるもの、見つかるものがあるかもしれない。子どももできたら嬉しいけど、気にすることはないよ」と言って受け入れてくれました。

その後結婚し、1人目の娘を授かり、出産、そしてその2年後には2人目の娘を産みました。その当時から診ていただいている先生は神経内科がご専門でしたが遺伝子診療部にも所属されており、遺伝カウンセリングも受けました。そのときにとてもありがたかったのが、主人も私も実家が遠いので、いろんな先生や看護師さんが「出産はゴールではなく、今後もトータルで診ていきたい」とおっしゃってくださり、治療を続けながらふたりで子育てをしていくための行政のヘルプサービスのような書類も用意してくださいました。また酵素補充療法も先生と相談しながら中断や再開を経て、出産を迎えることができました。出産後には酵素補充療法の点滴を病室まで運んでいただいたのを覚えています。

育児をしながらも2週間に1回の点滴が必要で、通院の際には、保育園やベビーシッターさんに子ども預かってもらったり、主人に面倒をみてもらったりしました。完全母乳で育てた下の娘のときには、家で飲ませてからすぐに病院へ行ったり、点滴前に飲ませて点滴をしたり、という工夫もしました。ふたり授かって嬉しい半面、今とは違った大変さがあり、主人とふたりで無我夢中で子育てをしました。ただ、私の病気と子育てはあまり結びつけて考えないようにしています。小学生になった娘たちは今、健康に育ってくれています。私についても特別に考えているということはないですが、「お母さんは病気をひとつ持っていて、そのために病院に行っている」と病気について理解してくれています。現在は経口剤の基質合成抑制療法を実施していますが、通院のときもあまり暗い気持ちになったことはなく、点滴中には看護師さんたちにいろいろ話をしたり相談したりしました。

患者会に参加

病気についての詳しい情報は、やはり患者会や患者会の勉強会から得たものが多かったと思います。会では、本当にいつもたくさんノートにメモをして自分の状況などを把握していました。会には母も一緒に参加し、母は母で悩みを共有できていたのではないかと思います。母は昨年亡くなりましたが、患者会に参加するために一緒に東京に行ったことは今では良い思い出となっています。
最近はなかなか参加できていなかったのですが、患者会を通じて同じⅠ型の方とSNSでつながりができたのをきっかけに交流会に参加しました。みなさん明るくて、できることをされていて、私は普段は良くも悪くも先生と話すときくらいしかゴーシェ病であることを意識せずに生活しているほうですが、ほんの些細なことも情報交換ができて、自分だけでない思いや悩みを共有できました。まったく堅苦しいものではありませんでしたし、少し不思議な感覚で、純粋に集まって話せたことが良かったです。遠方の方はなかなか難しいと思いますが、今後もまた気軽に集まれると嬉しいです。

今後も元気に、そして少しずつチャレンジも

子どもも少し手が離れてきているので、もちろん家族のことも考えながら、あまり怖がらず、また仕事もしたいと思いますし、これまで少しずつ続けてきた、ウェディングブーケ作りといったお花の勉強も進めていきたいなと思います。でもやっぱり家族のなかでお母さんが元気じゃないと、と思います。元気でいることがいろいろなことにつながっていくので、ときどきは息を抜きながらも、元気でいることを大切にしていきたいです。