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ゴーシェ病患者さん・ご家族のお話

ゴーシェ病患者さんのご家族のお話⑦ Ⅱ型

次々と襲ってくる試練。向き合う時間の中で、少しづつ成長し、
今は、いいこともたくさんあると思えるようになっています。

「日本ゴーシェ病の会」会員

「ご家族」

お父さん
お母さん
長男(22歳)
長女(18歳):1歳でゴーシェ病(Ⅱ型)と診断

約半年間の検査を経て、1歳でゴーシェ病と診断

娘は私のお腹の中にいる時から、お兄ちゃんに比べて動きが少なかったのですが、女の子はお腹の中でも男の子に比べて大人しいのかな?くらいに考えていました。
しかし、生まれた時に、娘の皮膚が膜を張ったような状態で、鱗状にめくれてくるのを見て、母親の直感でしょうか、何か大きな不安が胸に突き刺さりました。その不安は、娘の成長と共に消えていくことはなく、生後5ヵ月になった頃に、「首が座らない、何か異常があるかもしれない」と感じて保健師さんに相談したのですが「成長には個人差があるので、もう少し様子をみましょう」と言われ、その個人差にかけるような気持ちで娘の成長を見守ることにしました。
ところが、その年の冬、娘が高熱を出して近くの病院にかかったところ、血小板の値が低いことが分かったのです。検査値が異常であることの原因を特定するために、総合病院に転院したのですが、詳しい検査を重ねても原因は一向に分からず、診断がつくまでの約半年間、それは不安な日々でした。自分で、それまで読んだことがないような難しい医学書を開いて、娘は白血病じゃないかと疑ったこともあります。
1歳の誕生日を過ぎたころの骨髄の検査で、ようやくゴーシェ病であることが分かりました。骨髄の検査は非常につらいもので、外で待機していた私の耳にも娘の絶叫が聞こえ、かわいそうで涙が止まらなかったのを今でもはっきりと覚えています。診断の結果はⅡ・Ⅲ型で、予後が悪く、2歳までしか生きられないかもしれないと告げられました。これから、すごく大変なことが始まるんだなと感じる一方で、正しい病名が分かって安心したという気持ちもありました。

悩んだ末の気管切開(きかんせっかい)※1

当時、すでに酵素補充療法が認可されており、診断がついてすぐに2週間に1回の酵素補充療法を開始しました。
娘は1歳になっても歩くこともできず、ハイハイも促してやっと1歩進めるかどうかという状態で、お座りをさせるとうつぶせになってしまい起き上がれないなど、発達の遅れが出ていました。
その頃から、息止め発作※2やミオクローヌス※3などの具体的な症状も現れ、特に、息止め発作が起こった時には、顔が真っ黒に腫れあがってしまい、このまま死んでしまうのではないかと恐怖を感じました。その後、息止め発作がどんどんひどくなり、先生から気管切開を勧められましたが、一度受けてしまえば元には戻れない気管切開にはどうしても抵抗がありました。先生からは息止め発作ではなく憤怒痙攣(ふんぬけいれん)※4という名前で聞いていたので、それならば怒らせなければ発作が起こらないのではないかと必死にあやしたり、憤怒痙攣であれば成長すれば治まることもあると聞いていつか治まることを願ったりしたこともあります。看護師さんからは、声を出せるうちに声を録音しておくように勧められ、うれしそうにおせんべいを食べ、ジュースを飲んでいる娘の声を録音しておいたものが今でも大切に保存してあります。また、娘は人にものを食べさせるのが好きで、お兄ちゃんに食事させている様子を撮った写真は、私のお気に入りの1枚です。
その1年後、娘は2歳の時に、気管切開を受けることになりました。

※1 気管切開(きかんせっかい):呼吸を維持させるためなどに、気管とその上部の皮膚を切り開き、管を挿入して気道を確保する方法です。

※2 息止め発作:恐怖や動揺を引き起こす出来事やとても痛い思いが原因となり、その直後に呼吸が止まって短時間意識を失ってしまうことです。

※3 ミオクローヌス:筋肉が急に収縮して身体の一部が意図せずピクッと動くことです。

※4 憤怒痙攣(ふんぬけいれん):「泣き入りひきつけ」とも呼ばれ、3歳頃までの子供が、強く泣いた後に呼吸停止や痙攣などを引き起こすことです。

自宅での生活が開始

気管切開を受けたことで、その1ヵ月後には自宅に連れて帰ることができました。同時に、息止め発作が起これば、切開部位からアンビューバッグ※5を使って酸素を送り込んで呼吸を楽にさせ、呼吸が浅くなる夜間には人工呼吸器をつないであげる、という日々の始まりです。夜に息止め発作が起こり、ベッドの上でずっと抱っこしていたこともありました。
その後も、強い息止め発作による入退院を2ヵ月毎に繰り返し、心身ともに休まる暇がありません。ただ、長年息止め発作を繰り返すうちに、私たち家族も少しずつそれに慣れてきて、ある程度の発作であれば自宅で様子を見る、という判断もできるようになってきました。
ただ、息止め発作以外にも6歳の頃から嘔吐で入退院を繰り返すようになり、その後、胃瘻(いろう)※6の処置、腰椎の圧迫骨折や大変な褥瘡(じょくそう)※7の治療、導尿(どうにょう)※8の開始など、思い返しても、本当によくここまでいろいろな病状に負けずにがんばってきたなと、心から娘の生きようとする力に感嘆するばかりです。

※5 アンビューバッグ:空気を送り込むためのバッグを押すことで人工的に呼吸を促す医療機器です。

※6 胃瘻(いろう):口からではなく、直接、胃に栄養を入れるために、お腹に作られた入り口のことです。

※7 褥瘡(じょくそう):いわゆる床ずれのことで、寝たきりの状態が続くと、背中やお尻の皮膚がすりむけてしまい、なかなか治らないことを言います。

※8 導尿(どうにょう):尿道の入り口から膀胱の中に管を挿入することで尿を排泄させる方法です。

娘の学校生活と私の時間

娘が12歳の時、それまで遠方にしかなかった養護学校が近くにでき、週に2回、学校生活が始められるという大きな転機があり、私たち家族にとっても、近隣の親同士のつながりができたり、学校の先生に娘の教育について相談できるようになったり、精神的に本当に助けられました。
養護学校で親の手元を離れて過ごせたことは、私たち親、そして娘の両方にとって大きな自信となり、最近では、月に1回、病院のショートステイにも行っています。ショートステイに行きだした頃は、本当に娘と離れてよかったのかと悩むこともありましたが、娘と離れている時間に自分としてやるべきことをして過ごそうと考えられるようになってきました。
長く介護が続く生活の中では、このように娘から離れた時間を持つことで、娘と一緒に過ごす時間に余裕が持てるようにもなり、この選択は間違っていなかったと思っています。

家族みんなに支えられて

娘につきっきりで過ごすために、お兄ちゃんへの心遣いがおろそかになり、身体がふたつ欲しいと思うことも度々ありましたが、お兄ちゃんも、妹のことを気にかけながらも、兄妹として普通に振る舞ってくれます。また、ヘルパーさんの力を借りたり、主人ができる限り仕事の融通をきかせてくれたりしています。幸いにしてうちは二世帯住宅なので、主人の祖父や祖母がいろいろと手伝ってくれます。私の兄家族も、休みの日に子供たちと遊びに出かける時に、ストレッチャー型の車椅子に乗った娘を一緒に連れて行ってくれることもあり、このような家族みんなでの支えは、この病気と向き合っていくなかで本当に大きな力になってくれていると実感しています。

今の目標は成人式

娘は、来年の3月にいよいよ学校を卒業します。今の目標は、学校が開催してくれる成人式に娘と参加すること。和裁を習い始めていて、成人式には私が作った着物を着せてあげたいと思っています。

かけがえのない18年間

必死に過ごしてきたこの18年間ですが、普通に過ごしていたらできなかった経験を娘とともにたくさんすることができ、最近は、いいこともあると思えるようになりました。家族やまわりの方々の大切さ、優しさを改めて感じることができているのも、貴重なことです。
私たちと同じようにゴーシェ病のお子さんを持たれたご家族は、それは大変な日々を過ごされているかと思います。ひとりでは心がくじけてしまうようなことも、家族みんなで助け合うことで乗り越えられることもたくさんあります。私が今、心から娘の母親になれてよかったと想えるように、ひとりでも多くのご家族の方がそんな想いを持っていただけるといいなと思います。