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ゴーシェ病患者さん・ご家族のお話

ゴーシェ病患者さんのお話⑥ Ⅰ型

看護師として、介護老人保健施設で働いています。
常に希望を持ちながら生きていきたいと思っています。

「日本ゴーシェ病の会」会員

「お話してくれた方」
30歳代男性:乳幼児健診でゴーシェ病(Ⅰ型)と診断

生まれて間もなくゴーシェ病と診断

私がゴーシェ病と診断されたのは生まれて間もない頃と、母からは聞いていました。乳幼児健診で肝臓と脾臓の腫れが見付かったことをきっかけに、大学病院で診断が付いたようです。3歳か4歳の頃、脾臓を摘出する手術を受けたのですが、その当時の記憶としては、手術室に入ったこと、手術の後、抜糸したことなどがうっすらと残っている程度です。
当時はまだ、酵素補充療法もなく、市内の大きな病院の小児科に経過を診てもらう程度でしたので、特に小さい頃に両親と病気について向き合って話したことは無かったと思います。ただ、病院の先生から、「骨が弱いので骨折しやすく、出血したら血が止まりにくいため、激しい運動を控えるように」と言われていたこともあって、そのことについては両親も無理をしたり、危険なことをしないよう気にかけていました。実際に、5歳の頃と小学生になってからの2回、骨折して大学病院で治療してもらったのですが、この時もなかなか治りにくかったようです。そのため、小学校の体育の授業や運動会は見学しなければならず、自分だけいつも外で見ていなければならないのをつまらなく感じていました。

酵素補充療法が始まる

小学校の高学年の頃に酵素補充療法が受けられるようになりました。それまで診てもらっていた小児科の先生から、「日本でもゴーシェ病のために新しい治療法が受けられるようになったこと」、そして、「この治療を受けることで、ゴーシェ細胞が蓄積するのを抑えることができるため肝臓の腫れも良くなってくること」などを説明されました。
それから、2週間に1回、平日の午後に学校を抜けて酵素補充療法を受けるようになりました。学校を早退するため、担任の先生には病気のことを伝えましたが、周りの友達には特に説明しませんでした。みんな、私に対して「ちょっと病弱な少年」という印象を持っていたと思いますが、特別扱いされることはなく、いつも普通に接してくれました。
当時、小学生だった私にとって、2週間に1回学校を早退するのは嫌なことでしたが、せっかく治療法ができて、両親がとても喜んでいたし、病院への送迎をいつもやってくれる母親を心配させたくないという想いもあって治療を続けていました。

中学、高校では体育会系の部活動

小学生の頃は体育の授業や運動会を見学していた私ですが、酵素補充療法を始めてからは運動もできるようになり、中学校では卓球部、高校では硬式テニス部に入部して運動部でみんなと同じように毎日練習ができるほどになりました。生活上、特に制限されることもなく、好きなものを食べて、部活が休みの日には学校の友達と普通に遊びに行ったりもしていました。小学校の頃は学校を早退しなければいけないから治療は嫌だと思っていましたが、今になって考えてみると、酵素補充療法のおかげで思春期を家に閉じこもることなく過ごせたので、やっぱり治療は続けて良かったと思います。

医療職を目指すようになる

高校生になって進路を考えるようになった時、漠然と将来は医療職に就きたいと思うようになりました。自分にとって一番身近で、そしてお世話になった職業だったからだと思います。今は男性の看護師も結構増えてきましたが、当時はまだ少なく、高校を卒業してすぐに看護科へ進学するというのは勇気がいる選択だったので、とりあえず普通の大学を卒業して、それでも医療の仕事に携わりたいという想いが強ければ看護の道へ行こうと考え、まずは政治経済学部へ入学しました。大学時代を過ごす中で改めて卒業後は医療職に就きたいと考えるようになり、大学を卒業後、看護専門学校に入りました。
大学で単位を取っていたおかげで、看護専門学校ではいくつかの履修科目が免除され、学校の授業にゆとりが持てたので授業がない時間を酵素補充療法の時間にあてていました。「大学に進学してから、看護学校へ行く」という一見回り道のようにも思えますが、私には治療を続けるためのいい余裕になったと思います。こんな風に考えられるのも、ゴーシェ病と長くつき合っていく中で、知らず知らずのうちに物事を焦らないでじっくり構えられるようになってきたからかもしれません。
看護師の国家試験の勉強を始めた頃、使っていた医学書でゴーシェ病について調べてみたことがあるのですが、ほんの少ししか病気についての説明が書かれておらず、改めて自分が稀少な病気であると感じました。

看護師として経験を重ねて

看護専門学校を卒業して、看護師資格を取り、いざ就職となった頃、ゴーシェ病の内服薬の治験に参加することになり2週間に1回の通院がなくなりました。
しかしその後、てんかん発作が起きたため、てんかん発作については勤務している病院に伝えて、万一のことがあってはいけないので夜勤から外してもらいました。今は、てんかん発作の心配があるので車の運転も控えています。てんかん発作が起きたために、生活に多少の制限は出ていますが、看護師としての仕事は問題なく続けられています。できるだけたくさんの診療科を経験したかったので、最初に勤務した大きな病院から転職して、精神科や小児科も経験してきました。急性期の病院ではどうしても患者さんとの触れ合いが短い期間に限られてしまうので、一人一人の患者さんと長い時間をかけてじっくりとお付き合いする環境で働いてみたいと思い、今の介護老人保健施設に変わりましたが、とても私のペースに合っているように感じています。

お世話になった分、恩返しができるように・・・

おかげさまで私は、小さい頃からお世話になってきた小児科でずっと診ていただきながら、今、30代になりました。生活上、特別な制限はなく、時々、友人とお酒を飲みに行くこともあります。看護師としての経験もたくさん積ませていただきました。
今後は、これまでの経験を活かして、難病の患者さん達をサポートできるような病院で仕事ができればと思っています。それが、これまで私がたくさんの方々にお世話になってきたことへの恩返しになるのではないでしょうか。

これからも、1日1日を笑顔で過ごしていきたい

私たちゴーシェ病の患者は、治療を一生涯続けていく必要があります。ですが、世の中にはまだ治療法が無い病気もたくさんある中で、ゴーシェ病には治療法がある、そのことだけでもとても幸せだと考えています。病気であることをつらいと感じることもありますが、今後、さらに新しい治療法ができる可能性にも期待して、希望を持ちながら1日1日を笑顔で過ごしていきたいと思っていますし、他のゴーシェ病の患者さんにもそう思っていただきたいですし、共に頑張っていきたいと思います。
最近、ゴーシェ病の患者会が新しくなると声をかけていただき、「日本ゴーシェ病の会」に少しずつかかわり始めています。看護師としての仕事以外にゴーシェ病の患者さん達のためにも何かお役に立てることを1つでもしていきたいと思っています。