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ゴーシェ病患者さん・ご家族のお話

ゴーシェ病患者さんのご家族のお話④ Ⅲ型

5歳でゴーシェ病と診断された息子も高校生になっています。
最近ようやく息子の将来に思いを馳せることができるようになりました。

「日本ゴーシェ病の会」会員

「ご家族」
お父さん
お母さん
長男:5歳11ヵ月でゴーシェ病(Ⅲ型)と診断
長女:15歳 他の難病

振り返ってみれば息子との初対面で異常を感じました

後で思い返してみればという話なのですが、18年前に帝王切開で産まれた息子を、数日後に初めてガラス越しに見た時、「目の動きがなんか変だな」と思ったのを覚えています。
その後、やはり目の動きが他のお子さんと違うと気になり、乳幼児健診の際に先生に相談したのですが、特に問題ないと言われました。眼科にかかるようにとも言われませんでした。
もうひとつ、けいれんとまではいかないのですが、引きつりを起こすことが多かったです。産まれた後病院から自宅に帰ってきて、数日後に引きつりで寝がえりを打ちました。私たちは「将来オリンピック選手だね」なんて笑っていましたが。その後の3ヵ月検診でも1歳検診でも相談しましたが問題なしと言われました。

診断がつかないまま状態は悪化していく

その他にもよくぐずる子でした。絶えず不機嫌で、私はいつも自分が未熟な母でうまくあやせないからだと反省を繰り返していました。今にして思えばお腹が痛かったのではないかと思います。夜なかなか寝られず、ずっとぐずって、疲れ果ててやっと眠りに落ちるといった感じでした。
言葉がしゃべれるようになると、幼稚園にあがった頃からお腹や足が痛いと言うようになりました。アトピーのため病院には定期的に通院していましたが、痛みについて相談してもお腹の薬を出されたり、成長痛と言われました。
4歳の半ばだったと思うのですが、風邪をこじらせて近所の小児科クリニックで診てもらっている時、血液検査の結果で、血小板の数値が非常に低いこと、そして肝臓と脾臓が腫れていることが分かりました。言われてみると確かにお腹は大きかったのですが、素人の私には臓器が腫れているとまでは分かりませんでした。
紹介されて最初は2市先の市立病院の小児科に行きましたが診断はつかず、次に、隣県の小児医療センターを紹介されました。そこでも最初は1週間後に来てくださいと言われていたのが、半月に一度となり、1ヵ月先になり、3ヵ月先でいいですよと言われたのですが、その間にも血小板数は下がっていくし、お腹の腫れはどんどん大きくなり、腹痛の訴えもさらに増えてきているのに、様子をみようと言われました。
その頃には血小板数は既に2~3万まで落ちていたと思います。鼻血が出始めると1時間以上も止まらなかったり、遊んでいてぶつかったところが青あざになりました。暴行を受けたように見えてしまい、私が疑われたこともありました。

やっと分かった病名は「ゴーシェ病」

結局、その次に紹介された東京の国立成育医療研究センターで診断がつきました。もしかしたらゴーシェ病かもということで、すぐに検体を東京慈恵会医科大学に送っていただきました。検査結果はゴーシェ病でした。5歳も終わりに近づきもうすぐ6歳という頃にようやく病名が分かりました。
しかし、先生から「お母さんよかったですよ。今は治療薬があるんです。」と言われた言葉から、逆に大変な病気なんだと認識させられました。自宅に帰り、家庭の医学書を見てみましたが怖いことしか書いてありませんでした。頭が真っ白になり、何も考えられませんでした。
単身赴任をしていた夫が、会社に相談して戻ってきてくれたので、3歳下の娘をみてもらいながら、私は息子に付き添う生活が始まりました。

治療による症状の軽快

息子はⅢ型のゴーシェ病と診断され、2週間ほどしてから大学病院での酵素補充療法による治療が始まりました。
治療を始めて血小板数は回復し、お腹の腫れも一年半くらいですっきりとしました。お腹の痛みを訴えることも減り、お薬の効果をはっきりと実感できました。おかげさまでその後も神経症状に進行はみられず、最近は頭痛を訴えることも減ってきています。

辛い時期を恐れて過ごしてきたけど…

今、息子は高校生です。おかげさまで普通に通学し、テニス部に所属して大会にも出られるくらいに頑張っています。2週間に1度土曜日に、電車で片道1時間半近くかかる治療にも一人で行ってくれるようになりました。幼稚園の時に初めての点滴による治療で、息子は泣きました。我慢強い子でしたのでその後泣くことはほとんどなかったですが2週間に1回病院で痛い思いをするわけですから、とても辛かったのではないかと思います。小学生に上がってからは、担任や保健室の先生が変わる度に息子の病気について説明を繰り返しました。普通のクラスに通っていたので、目や首の動きをみて、色々なあだ名をつけられることがありました。 治療については泣きませんでしたが、いじめで泣いたことは多く、息子はどんどん引っ込み思案になっていきました。いくら学校に話しても改善することがなかったので、自分で強くなるしかないんだよと、親子で何度も話をしました。
また、小学生くらいまではてんかんのような発作を起こして気を失ってしまうこともありました。一度、お風呂の中で気絶してしまった時には命の危険を感じたこともあります。先生からは遺伝子検査の結果などからこの後病状が進行する恐れがあると言われ、息子の病状を注意深く見守る毎日でした。

息子の将来を思う

これからもゴーシェ病が根治する治療法が生まれることを期待しながら、息子の成長を見守っていきたいと思っています。
息子は小さい頃から何かを描いたり作ったりすることが好きで、将来は車のカスタマイズをやるような仕事に就きたいと言っています。就労の際に病気のことが妨げにならないかととても心配していますが、子どもがいきいきと仕事をしていけるように親としても見守っていきます。

日本ゴーシェ病の会の再スタートに関わる

今、私は、日本ゴーシェ病の会の活動にも関わらせていただいています。ゴーシェ病の患者会は以前からあったのですが、2015年から名前を変えて再スタートしています。
私たちがこれまで経験してきたことを、自分達の中だけのこととして留めるのではなく、今後産まれてくるゴーシェ病の子ども達、そしてそのご家族の方々に伝えていきたいという思いがあります。ゴーシェ病は珍しい病気であり、患者さんは全国に散らばっています。そのような方々が情報もなく、孤独に一人でゴーシェ病に向き合われるようなことがないように、私たちが力になっていきたいと考えています。

ぜひ、支え合える仲間を見つけてください

ゴーシェ病のお子さんをお持ちのご家族の方々は不安な毎日を過ごされていると思います。どうして自分たちがと思うことも少なくないでしょう。私も息子がゴーシェ病と診断されて以来、息子に訪れるかもしれない恐ろしい結末に思い悩み4年ほど精神科に通う時期がありました。
そのような時、気持ちを分かち合える相手がいるというのは大切だと思います。私の場合、初めて息子の治療のために病院に行った時、今も日本ゴーシェ病の会で一緒に活動している患者のお母さんに出会いました。
名前も知らなかった難病を告知され、まだその時は死の宣告を受けたような気分でいた私の耳に、カーテン越しに彼女と先生が明るく会話しているのを聞き驚きました。しかし話をしてみると、同じように泣き、悩んで来たことがわかりました。その後、彼女に支えられ、相談し合えたことが大きかったです。彼女がいなかったら私はいまどんなふうになっていたか本当に想像もつきません。
また、息子がゴーシェ病でなかったら分からなかった日々の幸せもたくさん見えてきますし、いただいても来ました。ですから、本当に辛い時もありますが、できるだけ患者同士繋がって、苦しい時は分かち合い、楽しいことを見つけていく努力をしていきたいと考えています。
是非みなさんも一緒に支え合える仲間を見つけていただきたいと思います。日本ゴーシェ病の会がその機会となればこんなに幸せなことはありません。